1912年2月(明治45年)福岡県遠賀郡若松修多羅に生まれ修多羅小学校から八女中学、川端画学校を経て 1930年東京美術学校( 現 東京芸大)へ入学。 日本を代表する洋画家で教授の南 薫造から高い評価を受け南教室へ入る。 在学中に橋本八百二らが設立した東光会へ入選を続けた。 |
1935年 東京美術学校油絵科卒業。 |
--同年 橋本八百二らが東光会を離脱し設立した主線美術協会へ入る |
1936年 第1回文部省美術展覧会(文展)入選「眠れるピエロ」 |
1937年 東京日本橋 白木屋 意匠(デザイン) 図案部 |
1938年 宮崎県妻中学校教師赴任 |
1939年 久留米第46連隊 応召 |
1940年 召集解除 |
1941年 福岡県宗像中学校教諭 |
1942年 第5回文部省美術展覧会 「山西省の少女」 |
1943年 第3回創元会展 「卵売り」 |
1944年 海軍省教育局 千葉県館山砲術学校 |
1945年 海軍省教育局 広島県呉砲術学校 呉鎮守府郷原陸戦隊で秘密兵器の図解、教科書用の説明図作成の仕事。 兵舎の監視哨から原爆投下時の状況をスケッチ 海軍省秘密調査団が保存、NHKで放送、西日本新聞、中国新聞で記事 |
1948年 福岡県八女市福島高等学校教諭 1948年 創元会運営委員 |
創元展、日展へ入選を続ける。日本神話をテーマに人物画 女性像、少女像を描き続けた 1963年 第6回日展 「少女」 が特選受賞 1964年 日展無鑑査となる |
1965年 西洋美術史を昭和大学、北海道教育大学での講義 |
1974年 改組第6回日展 「扇を持つエミー」 特選受賞 |
1975年 日展無鑑査となる 文化庁現代美術家選抜展に選ばれ出品 |
1976年 日展委嘱となる 芸術院会員や文化勲章などが噂されたが |
1986年 逝去 74歳 |
他施設所蔵作品 |
東京慈恵会医科大学 学長 高木義寛氏肖像画 |
文部省所蔵 橋田文部大臣肖像画 |
文部省所蔵 坂田文部大臣肖像画 |
東京芸術大学所蔵 自画像 |
福岡県立美術館 「扇を持つエミー」 「赤い服」 |
宮崎県立美術館 「立女」 |
福岡県八女市 「筑紫の磐井」 |
都城市立美術館 「少女」 |
徳島県立近代美術館 |
南薫造記念館 「函館の午後」 |
八女市 田崎廣助美術館 「春」 |
昭和大学 医学蘭学者 高野長英の像 |
初代学長 上条秀介の肖像画 |
パレスサイドホテル 新宿住友三角ビル |
洋画家 井上自助作品集